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Column de saison

パリのカタコンブ

夏の盛りの暑さを避けるために、涼しさや過ごしやすさを工夫して創り出して、味わうことを納涼と言いますが、日本では怪談や肝試しのように鳥肌が立つような経験をすることで暑さを忘れるやり方があります。もちろんフランスでも納涼が可能です。フランスは日本ほど暑くないにせよ、それでもときどき暑い夏が訪れます。

 

パリの南部、RERのB線上にダンフェールロシュロー Denfert-Rochereau いう駅がありますが、そこに「カタコンブCatacombes de Paris」という年間20万人以上が訪れる観光名所への入口があります。石造りの螺旋階段を降りていくと、納骨堂の入り口にたどり着きます。そこには『止まれ!ここが死の帝国である』(Arrête! C’est ici l’empire de la Mort)と書かれた碑があります。

 

カタコンブは本来、ローマ時代に迫害されたキリスト教徒が作った地下墓所ですが、パリのカタコンブはそれとは関係なく、かつての採石場の名残である地下トンネルに無数の人骨が整然と積み上げられています。その光景を想像すると何だかおどろおどろしい感じがしますが、誰の骨なのか分からず、その扱いが死者に対する敬意が感じられないからでしょうか、すぐに慣れてきて、あまり怖さは感じません。どんどん先に進めます。全長はおよそ1.7kmあり、回るのに1時間はかかります。地下20mの場所にあるので夏でも中の空気はひんやりしていて、納涼にぴったりです。10年以上前にカタコンブを訪れたとき、頭蓋骨をバッグに入れて持ち出そうとしていたバカなスペイン人が捕まっていましたが、そういう輩に荒らされて一時的に閉鎖されていたこともあったようです。

 

フランスではキリスト教の影響で、教会の下や周囲にある聖別された土地に埋葬を行うようになりました。5世紀からパリの中心にサン・イノサンと呼ばれる墓地があり、約1300年間にわたってパリ市内の22教区から、数十世代にわたるパリ市民の遺体、およびオテル・デュー(治療院)や死体安置所からの遺体を受け入れ、次第にパリ最大の墓地となりました。そこにはあまりに多くの死体が埋められたため、17世紀のサン・イノサン墓地周辺の衛生状態はひどいものでした。常に数千体の遺体の腐敗が進行し、死臭が漂い、疫病が広がる危険性があったのです。

 

当時、ちょうど墓地と接しているレ・アル地区には市場がなかったので、新しい市場を造って中心地を再開発し、混雑する地区の人の流れを改善しようと、1785年、国務院がサン・イノサン墓地閉鎖とレ・アル地区の開発を決定しました。サン・イノサン墓地に埋められていた人骨は焼かれたあと荷車に乗せて運ばれ、地下トンネルに作られた納骨堂に整理されたわけです。その作業には15か月かかったそうです。

 

Catacombes De Paris

By albany_tim [CC BY 2.0], via Wikimedia Commons

30 juillet 2016
cyberbloom

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