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「19世紀パリ時間旅行」

東京の練馬区立美術館で開催されていた、フランス文学の大御所、鹿島茂先生監修の「19世紀パリ時間旅行」展に行ってきました。今のパリの輪郭が出来上がったのが19世紀に半ば。それ以前の18世紀のパリの様子は1781年に出版されたジャン=セバスチャン・メルシエLouis-Sébastien Mercier の『18世紀パリ生活誌』に詳しく書かれています。パリ改造が行われるまで、パリの住民は生ゴミや汚物を通りに投げ捨て、それらが道の中央にある溝によどみ、悪臭を放っていました。川も汚染され、パリの生活環境・都市衛生は極めて劣悪でした。

 

「19世紀パリ時間旅行」展は、パリ改造によって大きく変貌を遂げたパリを様々な資料によって検証し、そのビフォア/アフターをリアルに見せてくれました。当時完成した中央市場、レアールを描いた色付き版画が生き生きと時代の風景を浮かびあがらせていました。

 

パリ改造はフランス史上最も大規模な都市整備事業となりましたが、それを指揮したのはセーヌ県知事のジョルジュ・オスマン。オスマンにちなんでパリ改造はオスマニザシオンとも呼ばれいます。オスマンは1853年から1870年まで17年にわたってセーヌ県知事を務めましたが、パリ改造は、ナポレオン3世の構想に沿ったもので、ナポレオン3世の威光を高め、政権の維持にも寄与しました。

 

オスマンはエトワール凱旋門から放射状に並木が配されたブールバールと呼ばれる広い12本の大通りを作り、中世以来の複雑な路地を整理。クラップ&ビルドによって計画地にある建物を強制的に取り壊し、破壊されたパリの路地裏面積は7分の3に上りました。直接的な目的としては治安のためです。バリケードによって反政府勢力を助けた複雑な路地は消失し、労働者階級が叛乱を起こしたときに、軍隊をすぐに動員できるように広い道を作ったのでした。また市街地がシンメトリーで統一的な都市景観になるように、街路に面する建造物の高さを定め、軒高が連続するようにしました。これによって私たちが憧れる均整のとれた箱庭のようなパリが完成したのです。

 

一方でユゴー、デュマ、バルザックら、19世紀の文学者が作品において描写したパリの街並みは完全に失われ、詩人のボードレールは詩の中で変わりゆくパリを嘆いています。

 

19世紀パリ時間旅行 失われた街を求めて
鹿島 茂
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