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Column de saison

ミシュランと食べログ(2)

先回、お話ししたように、グルメの「権威システム」の最たるものが「ミシュラン・ガイド」とすれば、グルメと集合知の結びつきとして、カカクコムが運営するグルメ口コミサイト「食べログ」があります。以前、不正業者によるレビューのやらせ問題が発覚し、口コミレビューの信憑性が揺らいだこともありました。また飲食店の店主側から記事の削除を求めて裁判を起こされる例も少数ながらあるようです(知り合いの店主は食べログからの表彰を「ふざけるな」と破り捨てていました)。しかし「食べログ」は今や月間利用者が6000万人以上、口コミ数が500万件以上に及び、私たちが外食しようとするとき、とりあえずアクセスするサイトになっています。

「食べログ」は料理や店内の写真を口コミと一緒にサイトにアップロードできるシステムです。レビュアー(評価者)は自分自身のデータベースとしても利用でき、ユーザー用のページは本人以外の利用者も見ることができます。それによって ユーザーは自分の好みにあったレビュアーを見つけ出し、そのレビュアーの舌を信用するようになります。

料理に対する嗜好は個人的なものなので、マスメディアや権威のある人間の評価よりも自分と共通する好みを持った人間の評価の方がはるかに信頼できる場合があります。それは権威に従うのではなく、自分にとっての有用性や意味を求め、自分にとって必要な情報網を構築していく方向性と言えるでしょう。

「食べログ」で自分の舌と似ているレビュアーが見つかれば、そのレビュアーの評価はミシュランよりも価値があることになります。ミシュランの調査委員はプロであり、組織的なレビュー(最終的には合議で判定するようです)を行いますが、それが自分の好みに合わなければミシュランの格付けはあまり意味がありません。

確かに絶対的な「美味しさ」は存在するのかもしれませんが、私たちは、友だちと、恋人と、家族と、多様な関係性の中で食事をします。それに応じたレストランの使い方や、かけたい費用のレベルも様々です。それぞれのケースでコストパフォーマンス(フランス語ではカリテ・プリ qualité prix)を追求したり、ちょっと贅沢もします。それに対してミシュランの尺度はあまりに一元的です。もっともミシュランはすでにそのような使いこなしの一部になっているのかもしれませんが。

グルメな食べ歩きは経済的な豊かさの象徴ですが、一方で消費主義的なバブルの産物でもあります。「食べログ」のレビューにも同じ匂いを感じることがあります。確かに孤独に食べ歩くのが好きな人もいるのかもしれませんが、食文化はリアルな人間関係の上にこそ花開くもので、それを演出し、あいだを取り持つのがお店の役割(まさにギャルソンの独壇場!)と言えるでしょう。

le 20 janvier 2015
cyberbloom
 

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